迫る危機
1986~1987年頃のゲーム会社スクウェア。
バイトとして働いていた坂口博信氏もファミコン市場への参入で苦戦し、ヒット作が出せず経営は火の車。
社内には重苦しい雰囲気が漂い、社員たちの士気も低下。
「スクウェアはもう終わりかもしれない…」そんな声も聞こえる状況。
若き日の坂口博信氏も、手がけたゲームが評価されず、自信を失いかけていた。
「俺の作りたいものは、ここでは作れないのか…?」
最後の賭け
「このまま終わってたまるか!」
坂口氏は、当時大ヒットしていた「ドラゴンクエスト」に触発されつつも思うことがあった。
スクウェアならではの、映画のような演出と壮大な物語を持つ、最高のRPGを作ることを決意する。
社運を賭けた、まさに「最後の挑戦」。
坂口氏は「これが売れなければ、ゲーム業界を辞めて大学に戻る」とまで覚悟を決めていたと言われる。
この背水の陣の想いが「ファイナルファンタジー」というタイトルに繋がった。
集いし才能
少ない予算と限られた時間。
しかし、坂口氏の熱意と「最高のRPGを作る」というビジョンに共感した、才能ある若きスタッフたちがまるでRPGのごとく集結する。
後に数々の名曲を生むことになる作曲家・植松伸夫氏。
独特の幻想的なイラストで世界観を決定づけたデザイナー・天野喜孝氏。
驚異的なプログラミング技術で不可能を可能にした天才プログラマー、ナーシャ・ジベリ氏など。
メンバーが彼らと共に、未知の領域への挑戦が始まる。
限界への挑戦
徹夜は当たり前、泊まり込みも辞さない過酷な開発現場。
ファミコンの限られた容量との戦い。
作りたいものを詰め込むための、ミリ単位でのデータ削減、驚くべきプログラミング技術。
サイドビューの戦闘画面、飛空艇によるワールドマップの移動、映画的なオープニングなど、当時としては革新的な表現へのこだわり。
「ユーザーをとにかく驚かせたい」「最高のファンタジー体験を届けたい」という一心での、妥協を許さないクオリティ追求。
坂口氏のリーダーシップと、チーム全体の熱気が開発を推進する。
運命の日
数々の困難を乗り越え、ついに『ファイナルファンタジー』が完成。不安と期待が入り混じる中、1987年12月に発売される。
発売直後の反応は爆発的ではなかったかもしれない。
しかし、シリーズが増えていくごとにプレイしたユーザーたちの間で「なんだこの凄いRPGは!?」「音楽が、グラフィックが、物語が凄い!」と口コミが熱を帯びて広がっていく。
結果ファイナルファンタジー3では140万本もの売り上げを記録した。
伝説の始まり
ゲーム雑誌での高評価、そして右肩上がりに伸び続ける売上。
結果的に、当時のスクウェアを救う記録的な大ヒットとなる。
会社倒産の危機から一転、スクウェアは復活を遂げ、「ファイナルファンタジー」は日本のRPGを代表する人気シリーズへと続く道を歩み始める。
崖っぷちから生まれた「最後の幻想」が、現実の奇跡を起こした瞬間だった。
受け継がれる魂
坂口博信氏と開発チームの「ファイナルファンタジー」に賭けた、すさまじい情熱と、妥協しない日本の「ものづくり魂」。
それがいかにしてゲーム史に残る金字塔を生み出し、世界中のプレイヤーに感動を与え続けているかがわかった瞬間だった。
あの時の熱いスピリットが、形を変えながらも、今の日本のゲームクリエイターたちにも受け継がれている……
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